二人目妊娠中のつわり

産後に特化した一宮市地域助産師×産後セルフケアインストラクターの今川涼子(プロフィールはこちら)です。

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スマホのアップデートの際に、文字を大きくしますか?という表示がいきなり出て、思わずYES!と答えたところ、すべての表示が一回り大きくなって、見やすさに感動。こんな日が来るなんてね!またまたアラフォーを自覚した私ですww

さて、今日は6年前。人生で一番つらかった時の話。

二人目妊娠時のつわりを乗り切った話です。

実家も遠い、上の子は1歳、仕事はフルという状況・・。

この時、私みたいな境遇の人は一体どうやって乗りきってんのよ(泣)って、おえ~~っと涙を流しながら検索していたのを思い出します(遠い目‥)

なので、同じ境遇の人に読んでいただけて、少しでもホッとしてもらえたらと思って書いていきます。

  • つわりが始まりは5週… やっぱり入院へ
  • 上の子のお世話に義両親が限界に
  • 仕事復帰と夫婦けんか
  • 出産後、振り返ってみて

こんな流れでお話ししていきます。

つわりの始まりは5週…やっぱり入院へ

我ながら、、筋金入りのツワラー。。なんです(一人目の時は2か月入院しました。)

生理が後れて妊娠検査薬で+になった瞬間、(正確に言うと、翌日エコーで胎嚢を確認、そのまた翌日から)気持ち悪いのが始まりました。

こんなにちっさいのにその存在力ったら。おえ~~

どんどんひどくなって、食べれない、飲めない、吐きどおしであっという間に動けなくなりました。

くるぞくるぞ‥と覚悟はあったものの、2人目はあれほどの事はないかもしれないとどこかで淡い期待もあったりしたけど、あっという間に覆されました(泣)

ちょうど勤務が連休で、その2日間で脱水状態に。

自分の勤務先に受診。大混雑の外来で待っているときは、ガーグルベースンに顔をつっこんで車いすに乗せられている状態。

で、そのまま入院となりました。

上の子のお世話に義両親が限界に

当時、上の子は1歳4か月くらいかな。。

普段預けていた事業内保育所は勤務でないと預けられないので、病欠でも預けることができません。

で、急遽義両親に息子をみてもらっていたのですが、当時1歳の息子はまだまだ夜泣きがあって毎晩夜中にかならず泣きわめきます。

イヤイヤも始まって義両親は疲労困憊‥そして限界をむかえました。

夜泣きの対応は夫も使命感をもってやっていました。

子供一人のパワーってすごいですね。大人三人がダウンしたのですから。

裏を返せば、それフルで復帰してから夜泣きの含め、全部私が対応してたんだぜ?と思ったりするけれど、そもそもそれにも無理があったな~と思います。

でも、これを機にそのぎりぎりのバランスが崩れたので、夜泣いても知らん顔していた(というか気づかかった><)夫が、使命感を持って夜泣き対応するようになったというのは、これからの子育てにおいて大きな革命となったと思います。

辛いつわりから生まれたよい副産物。

それで、日中、息子は他の託児所に行くことになりました。
私はまだ入院中で24時間点滴。起きている間はつねに気持ち悪いので廃人のように過ごしていて、まったく使えません。

すべてお任せで、託児所を手配してもらい送り迎えと帰宅時からのお世話をしてもらうことに。

それまで近くにいた義両親に甘えるということが、うまくできなかった私ですが、その時をきっかけに、委ねるしかなくなったので今思えばそれも大きなことでした。

でも、1歳児のイヤイヤ星人にご飯を食べさせる、お風呂にいれる、寝かしつける、夜泣き・・託児所にいってもかなり大変だったようで、退院して自宅に帰ってくるように連絡が入りました。

正直、「こんな状態で帰ってもお世話できないよ…」と不安しかなかったです。起きている間中の吐き気で、そこに存在しているだけで精一杯だったので。。

でも、そんなことは、経験していない人には分からないのです。(決して、悪気があるわけではなくて)

で、2週間でおおきな不安を抱えたまま点滴を外し退院しました。

仕事復帰と夫婦けんか

退院しても私は廃人のようにくらしていました。

息子のオムツの世話も、ご飯の世話も辛く、託児所の送迎と帰宅後のご飯とお風呂は義実家でお願いをして、夜寝かしつけだけ私の担当。

夜泣き対応は21~22時に帰宅する夫の役目でした。

でも、思い切って帰ってきて息子に会えることはとてもうれしかったし、寝かしつけだけでもできることは私にも息子にとってもよい時間になってたなと。

吐き気をこらえて絵本タイムして、寝かせるということを毎日やることで、まだまだ動いて紛れるレベルではなかったけれど、息子に何もしてやれない‥という罪悪感はましになりました。

24時間こんな状態・・・。とにかくず~~と気持ち悪くて食べたら吐いちゃう。

私は、息子のにおいも夫のにおいも気持ち悪いので、(悲しいのだけど、こればかりはどうにもならん。)いつもリビングのソファにいました。

二階に行くと、トイレなど動く距離が遠すぎてしんどいので動きが最小限で済むのがリビングだったのです。

毎晩かならず泣く。目をつむって錯乱するように泣く!

夜中1時くらいに息子が決まって毎晩泣くので(律儀か!)夫が抱っこし、階段を下りてきます。目が覚めた瞬間かから吐き気に襲われるのでとにかく眠っていたい一心。
泣き止まないので車にのせドライブにいって帰ってくるのをただ見ているしかできず、寝た息子を抱っこして階段を上がっていく気配を感じていました。

朝、寝不足で仕事に出かけていくのも、どんどん疲労をため込んでいくのを見るのも辛かったです。

このころが父と息子の深い絆の始まりだと思う。

外来点滴をうったり(近くの内科でやってもらってました)して家で療養する事2か月ちょっと。20週を超えてようやく仕事復帰にこぎつけました。

まだ油断するとおえっとくるし、ものの味がおかしいし、常にげっぷがでてきて胃袋がはっているので眉間にしわをよせた表情が定着しちゃって、もう一生この顔なのかと思ったほどです。

仕事復帰すると、気持ち悪いけれど仕事では気がまぎれるようになりました。だけど帰ってきてからが、ハード。

寝かしつけの後しか夫は帰ってこないので、18時半ごろかえって来てから、ご飯にお風呂に、寝かしつけ‥それから家事。そして夜泣き…と。

そう、もうお腹も大きくなってきたというのにまだ夜泣きが毎日続いていました。私が仕事復帰したあたりから、やっと任務が終わったといわんばかりに、夫も義両親もさーーーとヘルプの手が引いていき、私の方も今まで十分やってくれたからという気持ちでSOSが出せない状況でした。

でも、こんな状況はやがて破綻します。。

夫婦の衝突です。私がある日ぷっつんしてしまいました。

もう無理やーーーーって大泣きしたのを覚えてます。

忙しすぎて、まったく気持ちの共有ができてませんでした。

クソ意地はって「とにかくやるしかない!」と昭和の根性論で乗り切ろうとしていたのですが‥ダメでした。

本当はまだ気持ち悪いし、夜泣きの対応も変わりばんこでやってほしいと、わかってくれてるという気持ちを何度も裏切られた気になっていた私ですが、私自身が伝えられていなかったのでした。。

その、ぷっつんがあってから二人で協力してなんとか毎日を過ごせている感覚を取り戻してきました。

そして、1月の出産を控えた12月。ある日から夜泣きがパタッとなくなりました。まじで?と最初は疑心暗鬼だったけど、次の日も次の日もそのまた次の日も泣かずに朝まで寝てくれました。

もう、この時のうれしかった事!!

臨月だし、まだ相変わらず気持ち悪いんだけど飛び上がって、バック転とかしたいくらいの気持ちでした(出来へんけど)

そして、無事産休に入り2人目出産を迎えました。

出産後、振り返ってみて

1人目のつわりも同じくとてもひどかったので、2人目妊娠の時期などどうしようか…何歳差をあけたらいいのか‥など考えていましたが、

結局、これだったら間違いないという答えはないのですよね・・。

結局、今すぐ妊娠したとしても36歳。という歳だったので、どうにかなるやろ><とう思いでえいやっと妊娠したような感じです。

だから、自分が廃人になってしまった後の段取りは考えていませんでした。

それからいろんな人の手を借りて乗り越えてきたんだなと振り返って思います。

妊娠するまでは、おじいちゃんもおばあちゃんも仕事あるし、実家は県外で実母も仕事してるし、夫の勤務は遅いし、どないすんねん状態だったのが、

おじいちゃんおばあちゃんは仕事を調整して、息子の世話、保育所の送り迎えをしてくれました。

夫は、息子の夜泣き対応、託児所の見学、手配、入院の洗濯や差し入れをしてくれました。

託児所の保育士さんは、この出会いで2人目生れてからもお世話になりました。実は、今でも‥夏休みや休みのセミナーなどで預け先がない時には、いつでもどうぞーといってくれる頼れる保育士さんです。

病棟の同期も、勤務の時に病室にスイカなど差し入れしてくれました。休んでいる間も体調どう?とか声をかけてくれました。

アズママという育児シェアのコミュニティにもお世話になりました。家で私がダウンしているときに、息子の世話をしてご飯まで食べさせていただきました。

初対面の人を家に入れるのも抵抗あるかもだけど、同じ育児中の母でとても安心感がありました。息子もよくなついてその方に新幹線を折り紙で折ってもらって喜んでみせてくれたのを覚えています。

この経験で、夫婦で協力するという機会になったことは間違いないし、

義理両親に頼る、委ねるという事もできるきっかけになったのも事実。

正直、託児所の支払いもえらいことになっていたけど、ここに投資するのは今思えば正解だったし、このお金の使い方や価値も見直せたおかげで、自分の産後も迷いなく外部に頼るという選択ができました。

自分一人でやっている、という戦闘モードにうっかりしているとすぐになってしまう私ですが、つわりからこれだけの良いこともありました。

この話が、同じ境遇で悩んでいる人の励みに少しでもなれば・・・という思いです。

長々と書いてしまいましたが、今思えば、良い経験だったと。。(あの時はそうは思えなかったけど‥)

私の筋肉から栄養を食いつないで大きくなった二人の子供たちは今やもう7歳と5歳!

元気に育っています!!

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