自分物語①育ってきた環境~今の価値観の根っこ!?~
こんばんは
一宮市地域助産師&
NPO法人マドレボニータ准認定ボールエクササイズ指導士養成コース2期生の今川涼子です。
今日は風がある一日でした。
思い切ってクーラーなしの鍛錬に挑戦。
滝汗かいた~~。
その滝汗に酔いしれつつ 鍛錬スケジュールを制覇。
疲労を癒しながら、、、お酒・・・ではなくお茶のみつつブログタイムです
さて、今日からシリーズで自分物語を書いてみたい思います
どんな風に生きてきて、ここまでたどり着いたのか、この先どんな風に活動していきたいか。
私という人間の物語を知っていただけますように。
オンリーワンをめざして
さー今日は第一弾
「育ってきた環境~今の私の価値観の根っこ!?」
です。
育った家庭環境、両親の価値観など、
今の私の価値観の根っこの部分に影響している時代だな~とつくづく。
うちは母親が看護師、父は会社員。
幼少期は母親は家にいて専業主婦していたけど、ものごごろつき出してからの記憶はすでにパートにでていました。
父は典型的な長男坊
帰ってきたら「めし~」といって座って動かない
なんでも甲斐甲斐しくお世話されて育てられてきたのね~~おばあちゃんに。
というタイプ。
家事やってるの、手伝っているのはみたことがない
洗車とか大掃除くらいかな。
小学生の高学年くらいから母は正社員になり、夜勤もはじめるようになりました。
夜勤明けでソファに寝て動かなくなる母。(今ならしんどさ分かるよ)
母は家事をこまめにする人じゃないので、しんどいと思ったら、何処でも寝るし、少々片付いてなくてもまったくもって平気な人(当時はそういうのが、嫌で甲斐甲斐しくお家のことする友達のお母さんに憧れてたりしたっけな)
家の事あんまりいないし、おしゃれなおやつとか作ってくれないし、、
でも。
仕事をもっている母に誇りを感じていたんですよね。
今の私と通ずるところなんだけど、母親も産婦人科のクリニックで働いていたので、赤ちゃんが生まれる現場で仕事してるんだ~ってのが家での母とギャップがあって、それが想像するとワクワクして。
当時は、お友達のお家のお母さんには主婦が多くて少数派だったけど、私も自分がお母さんになってからも仕事を持ちたいって、その頃から思ってました。
▼一個下の弟と母。この母より年齢越しちゃってるんだわ私
そして、私の夫婦の在り方としての理想は両親とは反面教師でした。
父は、仕事に対してはものすごく真面目な人。人の嫌がる仕事も引き受けたり、努力を惜しまない、そんな仕事に対する姿勢はいい影響を与えてくれている。
でも、夫婦の在り方としては、、、、。私は小さいころから母をみていて
「女は損だ」と思えてならなかったのです。
そして、対等な関係を築ける人、これが一番の条件やな。。なんて子供ながらに考えてた(かわいくね~~)
両親は、何でも相談しあえる仲ではなかったのは子供から見てもよくわかりました。
母がしんどい時、父に弱音を吐くことも見たことないし、それをくみ取ろうとしている父も残念だけど見たことがない。
それを子供ながらに、家の雰囲気が悪くならないように気をつかったり、二人の様子を観察したり、神経をすり減らしていたのを覚えてる。
子供のころから、遊んでくれる父が大好きだったけど、母と接している時の父は好きになれなかった。
結局、両親は私が高校生の時に別れました。
私は自分の家族に嫌気がさしていて、家に帰りたくない病。(ご想像ににお任せします)
、
だから、産後、マドレボニータのパートナ―シップを考えるきっかけをもらったときは、
正直ケンカもめんどくさいし、
立場の違う夫に分かってもらうよう言葉を尽くすのもエネルギーが必要だけど、、、ここで逃げだしたらいかん。
産後の恨みつらみで仮面夫婦にだけはなりたくない。
そんな思いでした。
子供を一緒に育てていきたいと気持ちをあきらめたくなかったのです。
その強い思いは幼少期からみてきた両親からの影響が大きいと思う。
産後女性に、「この時期をあきらめず考えようっ」て暑苦しくも、「言い合える場も作りたい」って強く思うのはここが原点かな。
それから、私は高校卒業してなんとか軌道修正。
そして働きながら5年かけて看護師になりました。
動機はもちろん、シングルになった母の影響。
「女一人でも食べていけるから」
ということで次回へ続く。
次回は
「長ーい独身生活の末、結婚・出産~目まぐるしい環境変化~」
です。
私のリアルな産後も語りたいと思います
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